延命寺沿革
天平時代 創立・開祖 | 奈良時代聖武天皇の天平年中(724-749年)行基菩薩が開創し御自作の延命地蔵菩薩座像を安置したこと伝えられる 天平年中 行基菩薩東国巡錫の折 当地に留錫され夜中に黄雲が園林の上にたなびき延命地蔵菩薩が忽然として端厳微妙の相を示現したまえるを見て 菩薩信仰歓喜措く所を知らず 直ちに木を刻してその妙相を残し伽藍を創建したと伝えられる 住古は延命地蔵菩薩を本尊とした |
平安時代 逗子の地名発祥 | 平安時代となり空海(弘法大師)様が下野の国二荒山登山のみぎり 当山に立寄り 延命地蔵菩薩安置する厨子を設けられ以来 住民尊信の的となり いつしかこの地を「厨子」と呼び現在の「逗子」の地名発祥と伝えられている |
鎌倉時代 | 鎌倉時代となり三浦氏の一党が大いに当寺を修補して祈願寺とする |
室町時代 | 室町時代の末には 北条氏の三浦攻めに敗れた三浦一族の一人 三浦道香主従は当山に於いて自害される 三浦道香・主従七武士の墓は境内に存す |
北条・徳川時代 | 北条氏の帰依を得 天文年間となり朝賢(天文20年/1551年3月25日没)が中興の祖となる 天正19年(1591年)11月には徳川家康公より御朱印五石を下附される 頼雄・尊栄の師資相次いで復興を計り貞享4年(1687年)伽藍竣工し新たに大日如来尊像造立して本尊とし 檀越協力を得て当山を護持する |
明治・大正時代 | 明治29年(1896年)大火災により鐘楼を残し全て焼失する 更に関東大震災により仮本堂9棟全潰の災厄にあい、第七十一世本瑞代、震災直後直ちに復興に着手 大正13年(1924年)11月起工し大正14年に旧本堂を竣工する |
昭和時代 | 第七十二代 祐瑞代に弘法大師御誕生千二百年記念事業として昭和49年起工し昭和52年4月末完工 新本堂落慶を記念して「逗子大師」と称号し その後第七十三世 宜圓代に檀信徒及び参詣者の増加により旧会館の狭小及び老朽の為 庫裡等の改築を発願し諸般の協力を得て弘法大師御遠忌千百五十年記念事業として檀徒会館及び庫裡の建築に着手 昭和58年10月起工 昭和59年9月に竣工する |
平成時代 | 時代の変化に伴い永代供養(納骨堂)を新たに始める 旧鐘楼堂老朽にともない第七十四世現住職 宜優代に於いて 平成27年高野山開創千二百年記念事業として鐘楼堂新築を発願 平成28年1月着工、同年10月完成する 梵鐘は元禄3年(1690年)銘を記して 文政5年(1822年)再鋳されたが大戦供出した為 現在の梵鐘は昭和30年に新鋳しこの度の新築事業に於いてもその音色を引継ぎ「平和の鐘」として竣工する |
交通アクセス
神奈川県逗子市逗子3-1-17